2020年4月5日日曜日

"盆栽考、根を育てる盆栽"






二十年ほど前から、我が家では植物を育てています

「育てている」から「共生している」という概念に変わった些かわずらわしい話はおいといて、十五年ほど前から植物の生理現象に興味を持ち始めてからというもの、盆栽の考え方をとりいれながら植物を観察してきました。

しかし、針金をかけたり、矮化を目的とした枝や根の剪定をほどこす造形第一の盆栽様式に、はじめは植物に大きなストレスを与えているだけではないかとの先入観を持っていたのですが、先達者の文献を読み解いていくとその内容は、どうやらこちら側の情弱さがうみだした印象にすぎないことを暴露するようでした。


鉢という制約をもうけ、植物を愛でようとし、草木を植える...この時点から何がはじまるか。

植物と身近で生活したい、もしくは観察したいがために天然自然から切りはなし、人間のエゴを自然現象にすりかえることがはじまります。

根が伸ばせず、地下からあがる水分を獲得できない、代わりに水をやる。

土壌の養分が肥沃にならない、代わりに肥料をやる。

環境に対して受動的な植物の生命活動は、人の思慮や気分といった気まぐれな自然現象に委ねられることになるのですが、場合によっては環境の厳しい野山の生活より危機的な状況にもなりかねません。

うちの主人はぜんぜん水をくれない、たのむから山に還してくれないか、などとぼやきはじめ、あげくには愚れてしまい一向に花をつけない。

あるいは、水やってくれるのはうれしいのですが、肥料が濃すぎ、死ぬわ!
など、様々な苦情にあふれているにちがいない。

それではいけません。

エゴの行使を肯定する以上、野生の生活よりもウチのほうが快適ライフを実現できるんですけど、そうやってふれこみ、植物に思わせなければならない。

つまりは、いかに健全な環境で生活させることができるか、それに尽きるのだと

盆栽のほどこす術はそのことを潔くつきつめたもので、均等な日当たりを考えて針金で枝を矯正し、若返り(という言いまわし)のために枝と根を剪定する、とても理にかなった考え方でした。

そのために腕の良い盆栽家が育てている樹木は、樹齢数百年などという化け物級の猛者が多く存在しています。

これは、思慮がエゴをイズムに依存させなかった証とも見てとれます。

ただやはり、植物はその状態が幸福なのかというと話はまた別ものになりますが、いくら自然態が好きだと言えど、管理された植物の健全さを保たせるためには、往々にして適切に手を入れることが賢明な行いなのでしょう。



盆栽と聞けば、なんだか小難しくて敷居の高いものだという多少の印象をもっていたのですが、拾ってきた種から発芽させ、枝から発根させること、言いかえるとお金というリスクのかからないことばかりに興味があったことが始まりでしたので、私には何も難しいことはありませんでした。

盆栽の難しいとされる「造形」のことなどさておき、毎日せっせと水をやり、種々様々な伸びかたを年単位で観察していくうちにそれぞれの個性が見えてくるもので、年単位で見えてくる個性に応じて植えかえをし、枝の伸びかたに応じてその先にどのような形がカッコイイのかを想像する、これが盆栽の醍醐味だと思っています。

なにせ目に見える植物の成長時間軸はとてもゆっくりなので、こちら側も腰をすえてゆっくり考え、観察することができる。

ゆっくり観察することができるので、どのように手を入れることが、その木にとって健全であるのかを考えることができる。

そうして一年が過ぎ、十年二十年後にたくましく育った樹木を見せびらかしたければコンクールなどにお披露目し、そうでなければ共に生活を続けていけばいいので、気楽なものです。

要するに盆栽は、樹のもつ個性の観察を楽しみながらその観察眼を養い、その個性が健全でありつづけるべく共鳴をうながす、延いては地球の環境構造を知るためのプロセスなのだと考えています。




さて、肉眼で見れる樹木の生活は、大まかに「根・茎・葉」それぞれの役割で一固体を形成しています。

樹の印象化をめざす盆栽様式もまた、上記三要素を一固体としてどのように魅せるかを目安に切り戻しの引き算をくりかえす。

一般的に茎・葉は地上部に、根は地下へ成長運動をくりひろげるものですから、目に見える地上部の広がりに重きがうかがえるものですが、「泥にまみれてその身を支え、強靭で実に荒々しく広がる根の容姿もまた美しきかな」などと誰かが言い放ったのでしょうか、樹の生命活動が断絶しない程度に根を地上部へ露出させ見せびらかす「根あがり」というものは、今では一般的に認知されているようです。

盆栽家界隈ではごくあたりまえに行われていた「それ」ですが、当初なにも知らなかった私が、まるで何かに取り憑かれたかのように増殖させていた盆栽第一号ともいえるガジュマルの、まさに根あがりの代表格とも言えるその生体構造は、根に重きをおけばその躍動感にたまらず魅了されるものを感じます。

    クワ科イチジク属ガジュマル


このガジュマルは、挿し木で増やした約五年目のものです。

挿し木は容易で、枝、もしくは幹まで、水のはいった容器に挿しておくだけで発根します。

しかしそのままほおっておくと、水が循環しない容器のなかでは植物体の細胞が腐敗するので、こまめに水をとりかえることをお勧めします。

(水のとりかえが面倒なので、水が循環するシステムを構築し、流水の中で発根を試みたことがあります。

しかし世の中はうまくできているようで、水のとりかえ頻度はグンとさがりましたが、ついでに発根速度も遅くなりました。)



発根してすぐに肥沃で大きな鉢へ移植して育てていたため、成育が著しく、よく肥大してくれたようです。


このように、培地を大きくすれば縦横ともに急速な細胞分裂をはたしますが、根を切りつめ、小さな培地にひとたび移植すればぴたりと成長を緩めるので、はじめに大きな鉢で骨格をつくり、目処がたったときに小さな鉢へ移植をする。


せっかちな私は、そのようにこの樹とつきあっています。

関東をはじめ、本州以北の樹木とくらべ、この樹は無骨で愚直にたくましく、生命力にみなぎっている様子がうかがえます。

根と葉のバランスをぐずした際、往々に本州の樹木は葉や枝を落とすなどの引算で均衡をたもつのですが、ガジュマルの場合は逆に「気根」という根細胞を地上部から発生させて水と養分の確保率をふやし、地上部の成長を助長するといったハングリー精神にのっとった足算をつかうあたりなどにもみられる攻めの生存術や、幹をブツ切りにされて動通を断たれても、関係ないとばかりにバシバシ新芽を展開するあたりのたくましさは、年下ながらに師とあおぐ風格を漂わせています。

もし、これから樹を選定し、盆栽のような樹木の印象化に興味をもたれるようでしたら、強靭な生命力を携えたガジュマルから始められてはいかがでしょうか。