物が辿った歴史を良しとするか悪しきものとするか、善悪は人間だけが固定する概念です。
このたび施工させていただいた中庭には、雑然とした不陸な石たちが据えておりました。
もちろん好みの問題ですので、それを好いと感じる人もなかにはいるかもしれません。
しかし話によるところ、施主様が以前に外構工事を頼んだ業者は石フリークだったそうで、自分の好みを半ば無理強いして工事に着工したそうですが、その石たちは昔に線路で使っていたものや寺で使っていたものなど、様々な歴史をもつ石だったそうです。
依頼を断るタイミングをはかれずに工事が進み、ついには完成した中庭ですが、それ以前がもっと雑然としていたため完成当初はそれなりに折り合いをつけていたそうです。
しかし時間が経つにつれて、なんだか得体のしれない素材が庭に鎮座している状態が気持ち悪くなり、私のところにご用命のお話をいただきました。
施工前
iphoneで撮影 |
以上の石を全て撤去し、工事に着工いたしました。
物質がどのような歴史を辿ってきたのかという情報がなければ気持ちが悪くなる余地もないのか、はたまた物質には歴史が記憶されるのか。
どちらにしてもそれを証明する根拠が見当たらないので、施主様のご要望のもと仕事をさせていただきました。
施工中
石の撤去・残土処分を経てレベルを出します |
砕石を敷いて転圧、ブロックで花壇の下地を施工 |
縁石をモルタルできめ、色粉を混ぜたハイモルで左官 |
ブロック左官の下地にサンドモルタル使用 |
黒色粉を混合したモルタル左官と並行してピンコロを据えていきます |
小上がりに鉄平石 |
雨水を再利用するため貯水タンクを設置 |
コンポスト設置用スペース |
完成 |
工事をやりながらなんとなく考えていた事がありました。
この記事の冒頭で書いたことの結論のようなものですが、私は人と生きているということです。
もし物質に歴史が記憶されると仮定して、私が石屋さんで買ってきた石もどこぞの山の、どの地点で採掘されたものかを知る由はありません。
人意地の悪い者から受け取るモノは何でも気持ちの悪いもので、前回施工した業者が物凄く徳のある人間だとしたら施主様も仕上がりに納得していたかもしれません。
職人を長いことやっていればその道の知識量と考察眼はあれど、今の時代職人気質などを前面に押しだすゴリ押しよりも、ちょうどいい倫理観は必要です。
行動の先に自分以外の他者をふまえることは、人と生きる私には必要な倫理だということを再確認できる仕事でした。
記憶に残るできごとでしたので余談で大半を占めてしまいましたが、施工事例のご紹介でした。