2021年8月20日金曜日

ジャワ産の鉄平石とピンコロ・色粉混合モルタル左官仕上げの花壇の施工、コンポストと雨水貯水タンク設置

 




物が辿った歴史を良しとするか悪しきものとするか、善悪は人間だけが固定する概念です。

このたび施工させていただいた中庭には、雑然とした不陸な石たちが据えておりました。

もちろん好みの問題ですので、それを好いと感じる人もなかにはいるかもしれません。

しかし話によるところ、施主様が以前に外構工事を頼んだ業者は石フリークだったそうで、自分の好みを半ば無理強いして工事に着工したそうですが、その石たちは昔に線路で使っていたものや寺で使っていたものなど、様々な歴史をもつ石だったそうです。

依頼を断るタイミングをはかれずに工事が進み、ついには完成した中庭ですが、それ以前がもっと雑然としていたため完成当初はそれなりに折り合いをつけていたそうです。

しかし時間が経つにつれて、なんだか得体のしれない素材が庭に鎮座している状態が気持ち悪くなり、私のところにご用命のお話をいただきました。



施工前

iphoneで撮影







以上の石を全て撤去し、工事に着工いたしました。



物質がどのような歴史を辿ってきたのかという情報がなければ気持ちが悪くなる余地もないのか、はたまた物質には歴史が記憶されるのか。

どちらにしてもそれを証明する根拠が見当たらないので、施主様のご要望のもと仕事をさせていただきました。



施工中

石の撤去・残土処分を経てレベルを出します


砕石を敷いて転圧、ブロックで花壇の下地を施工


縁石をモルタルできめ、色粉を混ぜたハイモルで左官


ブロック左官の下地にサンドモルタル使用


黒色粉を混合したモルタル左官と並行してピンコロを据えていきます


小上がりに鉄平石


雨水を再利用するため貯水タンクを設置


コンポスト設置用スペース


完成


工事をやりながらなんとなく考えていた事がありました。

この記事の冒頭で書いたことの結論のようなものですが、私は人と生きているということです。

もし物質に歴史が記憶されると仮定して、私が石屋さんで買ってきた石もどこぞの山の、どの地点で採掘されたものかを知る由はありません。

人意地の悪い者から受け取るモノは何でも気持ちの悪いもので、前回施工した業者が物凄く徳のある人間だとしたら施主様も仕上がりに納得していたかもしれません。

職人を長いことやっていればその道の知識量と考察眼はあれど、今の時代職人気質などを前面に押しだすゴリ押しよりも、ちょうどいい倫理観は必要です。

行動の先に自分以外の他者をふまえることは、人と生きる私には必要な倫理だということを再確認できる仕事でした。



記憶に残るできごとでしたので余談で大半を占めてしまいましたが、施工事例のご紹介でした。



枕木フェンスの目隠しとバラの誘引を兼ねた鎹(かすがい)

 




顧客様のご要望により枕木で構築したフェンスと、新規で門扉を施工させていただきました。


しかしこれだけではどこの業者様が施工しても同じですので、一つアクセントが必要です。


そこでお客様のお宅にあるバラを活かし、枕木間を固定する鎹で誘引できないかと考え、規格外の鎹を製作しました。


使用する枕木は、土中で20年が経過しても良好な状態を保つものを使用しております。













場合に応じて一転したアイデアを産出できればと考えておりますので、ご相談ください。


2021年8月19日木曜日

プランターバルコニー

 





塵米が施工するプランターの一例、バルコニーをカラーリーフで彩ります。


ご要望がございましたら自動冠水システムの施工もいたしますので、施工画像をご覧ください。






















2021年8月17日火曜日

塵米が提案する装飾園芸の形

 




造花やドライフラワー・ドライモスなどのマテリアルを再構築して空間演出する方法は、オフィスのエントランスやカフェの彩りを生みだすポピュラーな手段として昨今ではよく用いられております。


ここでは無形の曖昧な「雰囲気」という要素で構築されたオブジェをよく見かけますが、全体をそれっぽく魅せるこのような装飾は、一枚の絵画に落しこまれる想像力とは違い製作者それぞれの考え方が欠落しているように思われるのですが、逆説的に「それっぽい」ニーズには独自の想像力が不必要とも考えられます。


一方で、日本人の生活感覚には馴染みの薄いものかもしてませんが、他国では文化的な関心が発達しているため、個人でも画廊に立ち寄って絵画を購入し、部屋に飾るといった感覚が一般的に浸透しているようです。


一概には言えませんが、この感覚は一枚の絵画の還元価値が金銭的な資産という考え方というよりは、純粋に美しいものを美しいと想ったり、作家の技術や考え方に賛同したフラグのようなもので、金銭というマルチツールを使い、精神的な豊かさを購入するというそのような考え方が他国の文化の底上げになっているのだと思います。




さて、塵米が提案する装飾園芸の形は、サイズ縦1820mm×横910mmの規格ごとに製作する3.3Ⅾの拡張可能な壁画です。(ドライフラワー・ドライモス・エイジング加工金属など使用)

使われている無機・有機素材は一点物ですので、同じものは製作できません。

個人様・企業様問わず、ご理解のある方は一枚¥300,000(額縁¥50,000)より受注後から製作いたしますのでご連絡ください。

屋内設置に内装工事が必要な場合、別途施工費をいただきますのでご相談ください。










Camera-Sony NEX-7/Lens-CarlZeiss Jena DDR Tevidon 16mm f1.8


縦横どちらにも拡張できます



2020年9月11日金曜日

オーキシンと屈性の原理

 




植物が伸長するためには外的要因である光や水、二酸化炭素などと、それを生命活動に変換する内的要因か必要です。


これはあらかたどの生物にも備わっている機構なのですが、生理活性は異なれど、植物も人間同様にホルモンが作用していることはご存知でしょうか。


何種類もの植物ホルモンが体内で作用し、枝の伸長・阻害、肥大、落葉、摘果、などに関わる情報伝達を調節して生命活動を維持しているそうです。


天狗巣病や根頭癌腫病などは、細菌が植物の染色体DNAに侵入して悪さをして過剰な植物ホルモンの分泌をうながし、細胞の異常増殖を引き起こすものだそうです。


一体どんなプロセスを経ればそのようなことが解明できるのか私には皆目見当がつきませんが、聡明な方々が長い年月をかけて紐解いた文献をおもむろに手に取れば、その年月に比べたらほぼ刹那で構造を読み解き活用できるとはなんとも幸福なことでしょうか。


何の変哲もない夏の昼下がりに、脈々とつながる人間が積み上げてきた知恵の歴史を垣間みては、じわりと脇の下に汗が滲むのを感じるわけですが、それはただエアコンをつけていない夏の昼下がりに飲んだ先ほどの麦茶が、まさに30℃を越えんとする気温のせいで噴出しただけではなのかとも思います。


そういったわけで、昔に読んだ植物ホルモンに関する本をおさらいしていたのですが、植物ホルモンの中のオーキシンと屈性について書かれていた項を読んでいました。


オーキシンとは、光や重力に対する屈性、頂芽優勢、発根誘導などの生理活性に関わるホルモンで、生長運動に大きく関与しているようです。


植物体の伸びる各枝の先端でよく働き、細胞分裂を助長するような感じでしょうか、枝先に光があたると、葉緑体でこれが活性化して伸長活動をひきおこすようです。


枝が光の方向に伸びてゆく原理はこのことで、私も単純にそうかと思っていました。


結果的に光の方向に伸びるので、一見すると間違った解釈ではないのですが、この本には以下のようなことが書いておりました。


屈性の原理とは、簡単に説明すると「光に当たっている枝の裏側(陰になっている部分)にオーキシンが溜まることで起こる現象」ということらしいのですが、このホルモンの作用の一つに「細胞壁を緩める作用」というものが知られております。


つまり、光に当たっていない側面の細胞壁が緩むことで、真直ぐ伸びるものが、あたかも光の方に引っ張られるように見える、ということでしょうか。


もしくは単純に、光に当たっていない側のオーキシン濃度が高いため、あたかも光の方に押し出されるように見える、ということでしょうか。


ものの本には、光に当たっている側と当たっていない側の濃度の差異で、結果的に成長の差があるため云々、とまでしか書かれていないので真相は定かではないのですが、枝が光に向かって伸びている様に見える理由が、このオーキシンと屈性の働きによるものだそうです。


結局、ほぼ光のほうに向かって伸びているんですけどね。。。



2020年7月9日木曜日

”植木の剪定方法、考え方”





ご存知のとおり、植木屋の仕事は主に植木に剪定を施す事です。

そして日本の剪定は、他国に類を見ない方法で、論理的に樹木の健全さと大きさを保つ事に重きを置いた独特の考え方が根付いております。

現在日本の様々な技術の多くは、往々にして海外のエッセンスから精度を追求するかたちで評価されておりますが、情報が容易に摂取できる昨今だからこそ、何もなかった時代に工夫しようと考えた独自の哲学が、今や盆栽や庭木の剪定、作庭に脚光を向けることとなったのだと思います。

各国共通して、枝の総量を減らす「引き算」を大まかに剪定と呼びますが、枝を透かしながら減らすという特有の考え方は、低木への日当たりの調整や風通しの確保、幹枝による適度な光合成の助長、内枝の充実、病害虫の発生を軽減するなどといった効果をもたらします。

そういった意味で剪定をつきつめてみると、造形に重きを置いていた考え方は、刃物の入れ方次第では医療にも変わるものだと考えております。

現在では樹木医学も発達し、生理学の概念も更新されておりますが、ここでは以上に述べました日本の基本的な剪定を、簡単な平面イラストで説明させていただきます。



さて、それではいよいよ剪定をしよう!
とする時は、大概は樹が大きく茂ってきた時だと思います。

「樹を際限なく大きくできる環境であれ」、そう念じてもやはり所有地が広がるわけでもなさそうですので、まず「どのくらい小さくしたいか」を考えて枝を抜いてゆきます。

現状の大きさが好ければ、そこから混みあっている枝と枝がぶつからないよう、上下左右の空間をつくるように剪定します。

私の師匠はサイコロの五の目を枝間に見立てて造ると美しい、と言っておりましたが、そのようにして隣の木と干渉せず、尚間隔を広く保てる大きさにすることが理想的です。

基本的に植木屋は、仕事として造形美を考えながら枝を抜きますので、離れたところから輪郭がとれた樹形となるように施します。





①絡んでいる枝 ②混雑している枝 ③上がっている枝 ④胴吹き ⑤ひこばえ ⑥輪郭(輪郭から飛び出している一つ下の細かい枝が、輪郭に納まるように切り戻す)

もっと小さくしたいようなら、季節と健康状態を配慮した上でより幹に近い枝で作る。






①~⑥の枝を切るとこのような状態になります。

目的は伸ばしたい方向の枝を残してあげること(中心の幹から素直に外側に、放射線状に伸びている形)ですので、それ以外の不要な枝を払って好い枝が伸ばせるように空間を設けてあげましょう。




⑥の輪郭を造る際は切り返し剪定が望ましいです。

その理由については以下のトピックで説明しております

切り返し剪定とは、健康そうな枝を残してその先を切り落とす剪定方法で、太い枝でも細い枝でも、幹でも考え方は同じです。

残った細かい枝も、輪郭からあまりにも飛び出ているようでしたら切り返してあげましょう。








切断位置は①。

②③で切断すると、赤い斜線の部分が邪魔をして傷口を修復できずに、腐りや枯れ、病気の原因となります。

桜や椎など、強剪定に弱い木が致命的に不朽しているものをよく見かけますが、その多くが②③で切断されております。

切り口が大きい場合は、ペースト状の塗布剤を利用し、殺菌防菌、芯材の含水蒸発を心がけましょう。




枝が太くなると、枝の基部にシワが盛りあがる。これをブランチカラーと呼び、この組織をのこして切断することで傷口が早く完治するらしいです。





密集した枝を二本程度に間引きする
根本から綺麗に切れない場合や、見栄えが崩れないようなら下の枝で切り返す





以上は剪定の基本となります。


要点は、
混雑する枝を抜き→健康な枝を残して切り返し→形を造る


ここからは枝先の剪定、低木等剪定のご説明をさせていただきます。




大まかに形を整えた樹木、このままでも自然風の仕上がりでよろしいかと思います。

決定した輪郭どおりに剪定しても、多少前後していても、各枝に供給される養分はまちまちですので数か月もすれば輪郭から飛びでてくる枝が発生しますから、ご自宅の木を剪定する際はあまり気になさることはないかもしれませんが、ここから更に枝先を切って止める方法があります。



植物は往々にして頂部優勢という性質を持っており、オーキシンというホルモンが枝先に集中し、個体をより大きく成長させようとします。
(オーキシンと屈性の原理
https://www.660jinbei.com/2020/09/blog-post.html

その枝先を切ることで、樹木は養分の行き場をなくし、傷口の治癒に力を分散させながら、切断部より下についている葉の脇や隠れ芽から新しい芽を発生させる作戦にきりかえます。

盆栽家や植木屋はこの性質を利用して、伸長の遅延や、枝を増やす事を目的として枝先を止めたりします。

支障がないようでしたら、やはり自然風に、養分の滞りがないように剪定してあげることが望ましいのかもしれませんが、モチノキやアジサイなどの手入れには有効な選択かもしれません。


①伸びすぎた枝を元から外す ②上向き等の支障枝を外す

大まかに枝を剪定した後に、残った細かい枝先の葉がついている部分で切る。




アジサイなどの低木も同じように、決めた輪郭から出た枝を葉がついてる部分で切る。

伸びすぎた枝は根元から切るようにすると、混雑も緩和することでしょう。



このようにして、抜いたり止めたりしながら、目安の大きさまで引き算を繰り返すのですが、初めに迷うのは「どのくらいの目安」というところだと思います。

大きさも、枝の間隔にも、絶対の正解がないので、このあたりのバランス感覚はまちまちですし、季節や樹種によってもかわります。

しかし、ご自宅にて共存している樹が、果たしてどのような伸び方をし、どのくらい切っても良いのかを探りながら手入れするのも剪定の醍醐味ではないでしょうか。

かく言う私も盆栽の枝を一本切るのに、一時間かけても切れなかったことがございます。

盆栽と庭木とは考え方が些か違うところもありますが、その枝の数年後を想像しながら手を入れる、、、
言わばそれは、現在行う一つの行動が数年後の未来を形成する、などどいう哲学じみた真理が剪定のなかに含まれている、、、
というのは大袈裟な話ですが、やはり「切ってみる」という行為をすることでその樹が解ってくると思います。

正直な話、ヘタクソなイラストや文章に時間をかけてご説明させていただきましたが、感覚的な分野を文字で表現することの限界を感じました。

ということで、最後に一言

百聞は一見にしかず、、、最高のことわざの裏技となりますが、このトピックがどなた様かの参考になっていただけると幸いであります。




2020年4月5日日曜日

"盆栽考、根を育てる盆栽"






二十年ほど前から、我が家では植物を育てています

「育てている」から「共生している」という概念に変わった些かわずらわしい話はおいといて、十五年ほど前から植物の生理現象に興味を持ち始めてからというもの、盆栽の考え方をとりいれながら植物を観察してきました。

しかし、針金をかけたり、矮化を目的とした枝や根の剪定をほどこす造形第一の盆栽様式に、はじめは植物に大きなストレスを与えているだけではないかとの先入観を持っていたのですが、先達者の文献を読み解いていくとその内容は、どうやらこちら側の情弱さがうみだした印象にすぎないことを暴露するようでした。


鉢という制約をもうけ、植物を愛でようとし、草木を植える...この時点から何がはじまるか。

植物と身近で生活したい、もしくは観察したいがために天然自然から切りはなし、人間のエゴを自然現象にすりかえることがはじまります。

根が伸ばせず、地下からあがる水分を獲得できない、代わりに水をやる。

土壌の養分が肥沃にならない、代わりに肥料をやる。

環境に対して受動的な植物の生命活動は、人の思慮や気分といった気まぐれな自然現象に委ねられることになるのですが、場合によっては環境の厳しい野山の生活より危機的な状況にもなりかねません。

うちの主人はぜんぜん水をくれない、たのむから山に還してくれないか、などとぼやきはじめ、あげくには愚れてしまい一向に花をつけない。

あるいは、水やってくれるのはうれしいのですが、肥料が濃すぎ、死ぬわ!
など、様々な苦情にあふれているにちがいない。

それではいけません。

エゴの行使を肯定する以上、野生の生活よりもウチのほうが快適ライフを実現できるんですけど、そうやってふれこみ、植物に思わせなければならない。

つまりは、いかに健全な環境で生活させることができるか、それに尽きるのだと

盆栽のほどこす術はそのことを潔くつきつめたもので、均等な日当たりを考えて針金で枝を矯正し、若返り(という言いまわし)のために枝と根を剪定する、とても理にかなった考え方でした。

そのために腕の良い盆栽家が育てている樹木は、樹齢数百年などという化け物級の猛者が多く存在しています。

これは、思慮がエゴをイズムに依存させなかった証とも見てとれます。

ただやはり、植物はその状態が幸福なのかというと話はまた別ものになりますが、いくら自然態が好きだと言えど、管理された植物の健全さを保たせるためには、往々にして適切に手を入れることが賢明な行いなのでしょう。



盆栽と聞けば、なんだか小難しくて敷居の高いものだという多少の印象をもっていたのですが、拾ってきた種から発芽させ、枝から発根させること、言いかえるとお金というリスクのかからないことばかりに興味があったことが始まりでしたので、私には何も難しいことはありませんでした。

盆栽の難しいとされる「造形」のことなどさておき、毎日せっせと水をやり、種々様々な伸びかたを年単位で観察していくうちにそれぞれの個性が見えてくるもので、年単位で見えてくる個性に応じて植えかえをし、枝の伸びかたに応じてその先にどのような形がカッコイイのかを想像する、これが盆栽の醍醐味だと思っています。

なにせ目に見える植物の成長時間軸はとてもゆっくりなので、こちら側も腰をすえてゆっくり考え、観察することができる。

ゆっくり観察することができるので、どのように手を入れることが、その木にとって健全であるのかを考えることができる。

そうして一年が過ぎ、十年二十年後にたくましく育った樹木を見せびらかしたければコンクールなどにお披露目し、そうでなければ共に生活を続けていけばいいので、気楽なものです。

要するに盆栽は、樹のもつ個性の観察を楽しみながらその観察眼を養い、その個性が健全でありつづけるべく共鳴をうながす、延いては地球の環境構造を知るためのプロセスなのだと考えています。




さて、肉眼で見れる樹木の生活は、大まかに「根・茎・葉」それぞれの役割で一固体を形成しています。

樹の印象化をめざす盆栽様式もまた、上記三要素を一固体としてどのように魅せるかを目安に切り戻しの引き算をくりかえす。

一般的に茎・葉は地上部に、根は地下へ成長運動をくりひろげるものですから、目に見える地上部の広がりに重きがうかがえるものですが、「泥にまみれてその身を支え、強靭で実に荒々しく広がる根の容姿もまた美しきかな」などと誰かが言い放ったのでしょうか、樹の生命活動が断絶しない程度に根を地上部へ露出させ見せびらかす「根あがり」というものは、今では一般的に認知されているようです。

盆栽家界隈ではごくあたりまえに行われていた「それ」ですが、当初なにも知らなかった私が、まるで何かに取り憑かれたかのように増殖させていた盆栽第一号ともいえるガジュマルの、まさに根あがりの代表格とも言えるその生体構造は、根に重きをおけばその躍動感にたまらず魅了されるものを感じます。

    クワ科イチジク属ガジュマル


このガジュマルは、挿し木で増やした約五年目のものです。

挿し木は容易で、枝、もしくは幹まで、水のはいった容器に挿しておくだけで発根します。

しかしそのままほおっておくと、水が循環しない容器のなかでは植物体の細胞が腐敗するので、こまめに水をとりかえることをお勧めします。

(水のとりかえが面倒なので、水が循環するシステムを構築し、流水の中で発根を試みたことがあります。

しかし世の中はうまくできているようで、水のとりかえ頻度はグンとさがりましたが、ついでに発根速度も遅くなりました。)



発根してすぐに肥沃で大きな鉢へ移植して育てていたため、成育が著しく、よく肥大してくれたようです。


このように、培地を大きくすれば縦横ともに急速な細胞分裂をはたしますが、根を切りつめ、小さな培地にひとたび移植すればぴたりと成長を緩めるので、はじめに大きな鉢で骨格をつくり、目処がたったときに小さな鉢へ移植をする。


せっかちな私は、そのようにこの樹とつきあっています。

関東をはじめ、本州以北の樹木とくらべ、この樹は無骨で愚直にたくましく、生命力にみなぎっている様子がうかがえます。

根と葉のバランスをぐずした際、往々に本州の樹木は葉や枝を落とすなどの引算で均衡をたもつのですが、ガジュマルの場合は逆に「気根」という根細胞を地上部から発生させて水と養分の確保率をふやし、地上部の成長を助長するといったハングリー精神にのっとった足算をつかうあたりなどにもみられる攻めの生存術や、幹をブツ切りにされて動通を断たれても、関係ないとばかりにバシバシ新芽を展開するあたりのたくましさは、年下ながらに師とあおぐ風格を漂わせています。

もし、これから樹を選定し、盆栽のような樹木の印象化に興味をもたれるようでしたら、強靭な生命力を携えたガジュマルから始められてはいかがでしょうか。