2020年3月29日日曜日

”キトサンでつくる樹木の傷口保護剤”






ひとつ物事に興味をもちはじめると行わなければ気が済まなくなる癖があるのですが、費やす時間はその事柄の深さに比例してかかってくるので、かけるべき興味の時間からあまりにもかけはなれてしまうことに気がつくと、可能な事はお金で解決するようにしています。

当たり前田のことですが、私の体を維持でき得る時間は有限なもので、全ての事柄を網羅し、極めようとするには、一生があまりにも短かすぎます。

まず生きてゆくための経済生活に費やす時間を優先し、悲しいかな精神生活(趣味興味など内面を育てる作業)は後回しになりがちです。

とは言え、植物に興味をもって始めた植木業という仕事が私の精神生活に関与していないのかと問えば為になっていることは多々あり、学歴そこそこでも興味を仕事にできるこの国の創ってきた歴史に脱帽つつ、そもそも精神生活などとウツツをぬかして平和ボケ甚だしいのではないのでしょうか、などと怒られてしまいます。

しかし時間は有限、まずは老いや死の問題を解消すべく、新薬「フロウフシナール」の実験にとりかかる、などという戯言を二秒で削除し、良質な素材から構成された樹木の傷口保護剤の作成にとりかかることにしました。

上記に「良質」という言葉を使いましたが、語弊をまねくといけないので先に弁明しますと、ここではなるべく純粋な天然素材、純度の高い素材を用いることに焦点をあて、低コストと機能性をかねそなえた塗布剤ということで進めていきたいとおもいます。



私の知りうる天然由来で塗膜をつくる素材には、ウルシや渋柿ニス、松脂あたりがあげられました。

調べてみると少量ならまだしも、大量に作るとなると意外とコストがかかってしまうことがわかりました。

なので、ほかに何か良さげな素材はありませんか、そうやって執拗にgoogle先生にたずねてみますと、先生は「キトサン」というワードをあげてきました。

google様様です。

キトさん?または、樹ト酸?

なんだかよくわかりませんが、そのような具合でもうすこし先生に教えを乞うと、(簡単に説明すると)どうやら甲殻類の殻からタンパク質やカルシウムを取りのぞいて得た粉末状のもので、酢酸によって溶解したゲル状の水溶液は、水分が抜けるとセロファンに似た酢酸塩の塗膜をつくる、というものでした。

くわえて医療分野、そして健康食品でもつかわれており、自然分解性、コストパフォーマンスもよい、まさにうってつけの素材「キトサン」で製作を進めることにしました。

一口にキトサンといっても、用途によって分子量の異なった製品が販売されておりましたが、ここでは粘度の高い高分子のものを使用することにしました。


【使用するキトサンの詳細】

一般名:キトサン
分類:食品添加物
記号:FH-80
原料:カニ由来
粘度:80メッシュパス95%以上
乾燥減量:10%以下
強熱残分:1.0%以下
粘度:100mPas以上
脱アセチル化度:80%以上
内容:300g
価格:1490円


この粉末キトサンを酢酸で溶解するのですが、クレゾールやアルコール類等を含まず、殺菌作用もある食酢(食用のお酢)をつかうことにしました。

これでシンプルな塗膜材料がそろいました。

しかしこの材料で製作した第一号キトサン溶液、時間が経つとどうも粘度が落ちてしまい、何度もぬらなければ塗膜が薄い。

仕事の現場ではそのような時間がかけられないので、もう少し思索を必要としました。

そういうことで、再びgoogle先生を召還し、こんどは市販されている塗布剤を再度検証することにしました。

そのなかの製品で、同じような素材を使用しているものがあったのですが、そこに含まれる様々な成分のなかにカーボンブラックをみつけました。

カーボンブラックとは石油燃焼から発生する煤(炭素)で、防腐効果をねらった成分だとおもいますが、これをつかって凝固性を高めることはできないかと、さっそく代用品を探すことにしました。

そして、石油由来のカーボンブラックでも、墨でもなく、純粋な炭素をおいかけ、とある粒状炭素にたどりつき、取り寄せることにしました。


【粒状炭素の詳細】

固定炭素分:99.59%
灰分:0.07%
発揮分:0.34%
水分:0.02%
平均粒径:0.5~5mm


これをすり鉢へ投入し、「なるべく粉末になれ」と曖昧に念じながらすりつぶしていくのですが、これが意外に硬質で、テマヒマがかかる。

しかも、炭素はなにものにも溶けださない性質をもっている(私のできうるテマヒマでは)ので、やはりなるべく粉末状にしておく必要がありました。(粉末状の製品も販売されていましたが、コストとの兼合いから労力を費やすことにしました。)

そうしてこの三つの素材を練り合わせた第二号キトサン溶液の解説を、以下に記載いたします。


    左/キトサン 右/粒状炭素 



    粒状炭素をすり鉢で粉末にする



    キトサンと合わせ混ぜ 



    食酢を加えながら攪拌する





完成した第二号キトサン溶液、炭素粒子で接着面を増やし、凝固性を高めるねらいでしたが、これもまた時間が経つと粘度がおちるようです。

そうなった時に、粉末キトサンを注ぎ足しして粘度を保つやりかたで対応していますが、完成度はやはりあまいので、まだ思索を要するものです。

低コストで作成できるので、ご興味がありましたら実験、改良なされてはいかがでしょうか。

また、改良して好いものができましたら、コメントをいただけると幸いです。

それでは。




2020年3月14日土曜日

”カルス形成を重視した切りかえし剪定の必要性とその訳”





生物は細胞が損傷したさいに傷を修復する機能をもっていますが、樹木も細胞分裂によりその機能を発揮することはご承知かとおもいます。

「生きているとはどういうことか」という問いに「アイデンティティおよび再生産能力の維持」と答えたとある哲学者が提示するように、一見とまっているかのように見える「生きている」植物も、その表皮の内側では、我々人間の目から測ると小さな細胞が、猛烈な速度で細胞分裂をおこなっていることが想像できるかとおもいます。

しかし想像では確信に至らないせっかちな私は、我が家で生活を共有している小さな樹木に「損傷(剪定)」をあたえ、その後のカルス(分化していない植物細胞塊)形成の過程を容易に観察することができます。






上の画像は、剪定を施してから一ヵ月が経過した、実生三年目のケヤキです。

幼樹だからということもあり細胞分裂が活発なのでしょう、カルスの巻きを著しく観察することができますが、よく見るとカルスは枝のついている基部からの巻きかえしが強く見られます。

このように枝を残し、その枝の基部で正しく剪定することは、樹木の養分道通を断たず剪定のストレスを軽減させるという意味でも理にかなっているかとおもいますが、この方法が暗示するもう一つの意味は、一固体の樹木のなかにも、各部の役割とその線引きを明確にもっているということでしょうか。

画像のケヤキも、傷口の治癒を細胞分裂が活発な枝にまかせ、胴体の幹はより頂部に養分をおくることに専念しているかのごとく観えるように、胴体部分と枝部分を紙一重のところで区別していると観察します。

このことから傷口の治癒を優先した場合、傷口周辺の旺盛な成長枝を、可能なかぎり多くの本数のすことが癒合においては最良であるとよみとります。

止むをえず強剪定された樹木などもありますが、残った傷口から発生した剪定されやすい胴吹きは、実は残すことが癒合速度を短縮するカギなのかと思いをめぐらせるできごとでした。


2020年3月12日木曜日

”光の三原色と植物の生理、LED人工照明とヘヤリウム”





植物の代謝運動には、おおまかに光・二酸化炭素・水が必要とされています。
そのなかの「光」をピックアップして、ここにメモしていきたいとおもいます。


※前回のトピックと重複する部分がありますが、もう少し咀嚼した内容となります





「植物は、光の数値を選択的にうけとって成長運動をおこなっている」




この一文を目にしたとき、私は生まれた時から目にしている光について何も定義できないことに気がついてしまいました。


光とは一体なんぞや、と。



出だしからいきなりエアポケットにはまった私は刹那の虚無、徒然坊主


今の今まで、ともすれば光以外の様々なモノの原理を理解せぬままにいたにも関わらず、まるで表層のうわっつらを、大手を振ってするすると嘯くように滑っていただけなのではないかと、嘆く、刹那、云々。

私は急いでパソコンを立ち上げ、とりあえず光についてgoogle先生に尋ねてみました。

すると、こんな答えが用意されていました。

「光とは電磁波です。」

なんのことだかさっぱりわかりません。

なので、もう少し深く潜ってみました。

どうやら、、、
宇宙は暗黒物質などという得体のしれないモノが大半をしめており、そのなかにぽつねんと浮かぶ太陽から、地球には電磁波が届いているのだそうです。

その電磁波は、地上にはわずかしか届かない宇宙線やらガンマ線、エックス線、紫外線とつづき、おおよそ360-400nmから760-830nm(紫→青→緑→黄→橙→赤)の間の波長が、可視光(目に見える光の波長)として認識できるのだそうで、それらの電磁波がいっせいに、絶え間なくながれ続けているみたいです。

wiki参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E8%A6%96%E5%85%89%E7%B7%9A


それ以降、赤外線や遠赤外線などという波長が照射されているようですが、ここでは可視光と植物の関係を進めたいとおもいます。


               ガンマ線から遠赤外線図 画像転用



光と電磁波の関係がわかり、ようやく「光の周波数(数値)を選択的にうけとる」の意味がわかりました。

そして植物の葉緑素で、主に光合成に必要とされている波長は660nm近辺の赤色で、形態形成に必要とされる波長は450nm近辺の青色だそうです。

極端な話、植物はこの二つの波長さえあれば生命活動を維持できるようです。



では、赤と青を重視する植物の生理ですが、他の周波数を一体どのように扱っているのかと疑問が浮かびました。

光の三原色は赤緑青(以後RGB)。

この三色の調光のバランスで、目に見える全ての光の色が表現できるようです。

そして、一般的にその色がわたしたち人間に見えうる限界の電磁波(光)の色です。

私たちが毎日のように目にしている昼の白色をした太陽光を分解すると、やはりRGBのあいだの光の色が含まれているみたいですが、例えばその証拠に葉っぱの色が緑色に見える、らしいです。

もう少し噛み砕くと、暗闇ではなにも見えないし、赤い光の中では全てが赤く見える。

しかし、RGBが存在する白色(RGB光を同量照射すると、白色の光になる)の光の中では、色々な物が、様々な色に見えるわけですが、それは葉っぱが緑色をしてるからではなく、白色の光のなかに含まれる緑色の光を、葉っぱは反射する性質をもっているので緑色に見えるのだそうです。

思い込みが一つくつがえされました。

肉眼で見ている物質の色とは、その物質が保有しているのではく、その物質が反射する光の色を肉眼で受信しているので、緑色の葉っぱは赤と青の光を吸収し、緑色の光を反射(ストレスか受容)することが目的だとよみます。



                光の三原色 イラスト 画像転用




様々な企業や大学ではすでに発光ダイオウド(以下LED)を利用した植物の栽培や実験をしておりますが、日常的にそのような場所(情報)とは縁がないので、LED人工照明を自作して実際のスペックと植物への影響を観察してみることにしました。

初めに制作したモデルは5mm3元系LED、660nm17発と630nm12(赤色近辺)、そして470nm6(青色近辺)を均等に配列したもので、赤と青のLEDの数はそれぞれのカンデラ比をより近い数値にあわせた結果です。

今や詳細は不明ですが、照度は至近距離で約20,000lux生命維持においては問題なさそうですが、太陽光が100,000luxと考えると陽生植物が健全な代謝をうながすにはものたりないような気がします。

その後いくつか制作し、現在の照明が以下の画像です。


         Sony NEX-5/CarlZeiss Jena DDR Tevidon 16mm f1.8


       Sony NEX-5/CarlZeiss Jena DDR Tevidon 16mm f1.8

電源電圧DC24v 3.75A
LED660nm[赤] 2.3v 60mA ×252発
LED450nm[青] 3.1v 20mA ×56発
総電流 1.84A
総電力 5.152w


実測照度最大値

100 mm      65,000lux
200 mm      45,000lux
300 mm      35,000lux
400 mm      27,000lux
500 mm      21,000lux
600 mm      17,000lux
700 mm      12,600lux
800 mm      10,000lux
900 mm        9,200lux
1000 mm      7,400lux


※補足
300発強のLED(約5w)を半田付けしていると途方にくれて疲れてしまうので、ハイパワーLED(一発で3w)での制作をお勧めします。

加えてLED一発の放射強度も高いので、距離に対するロスも少ないと思われる。



このように、660nm(赤)450nm(青)の二色が混ざるとピンクになるのですが、色彩がつらいです(主観)。

いくら植物にとってピンクが必要だといえど、この昭和のストリップ感(主観)がどうにもおちつきません。

部屋の一部がずっとピンク的な色に照らされて、なんだかこっちまでピンク的な気持ちになりそうでならない(主観)。

そんな状況はモヤつくし(主観)、間違えて私が植物にピンク的な感情がわいてしまっても(主観)、逆に植物が私にピンク的な好意をむけるような事態になっても(妄想)、どうしていいかわからなくなるし(悲惨)、困る(パラノイア)

それは一大事なので、光のかたよりを正常化できたら万事が平和的解決で収束するのではないかとおもい、実はこの照明の両端には緑色の光源をまぜたのですが、出力が低すぎたせいでその甲斐も反映されないといった空しい結果となるのでした。

ということで課題を残したこの照明ですが、エネルギー効率を重視したLEDには、無駄を削って要点を抽出できるメリットがあります。




しかし、植物も生き物です。 


選択的に必要な周波数だけが照射でき、効率的に植物の育成を観察するためにLEDを使っているわけですが、植物にとって、それは一体どのような状態なのだろうか。

ここで「生物においての健全な環境」というものをここで考えなおしてみました。



さて、生物にとっての健全な環境とは一体どういうことでしょうか。


これを定義するために二つの逆説をあててみました。

①.雨風などのストレスをしのげて、必要なときに必要な質量のエネルギーが手に入る安全な環境
②.選べない環境のなかでもまれ、生きるために変移を余儀なくされる環境

いわゆる温室そだち。

致死率は低いけど軟派に成長しそうな観がありますね。

可なりワイルドそだち。
たくましく成長しそうですが、いつ死んでしまってもおかしくないですね。

こうして見ると、育成する立場からするとなんだかどちらも正解とは言いがたいです。

わが子を守りたいがための安全な環境づくりとは、裏を返せば成長という意味での通らなければならない重要なストレス体験を排除する結果になりかねない。

そうかと言って、死なない程度の安全は確保しなければならない。

そう考え、答えを①と②のあいだということにして、生物が健全に生きるということのなかには無駄やストレスも含まれるのではないかと考えました。

雨風が吹けば細胞を刺激して肥大を促し、気温が下がれば体内の糖度を高め、乾けば気孔を閉じるといった機能の行使を強いられる。

それが生物の健全な成長ということをひとつの答えとし、理論的に不必要だとされている緑色の光にくわえ、紫外線と赤外線もくみ込んで地球にふりそそぐ光を時間軸にそって擬似的につくりあげることをテーマに考えていこうかとおもいます。


最終的には、屋外で風が吹けばこの室内にも相応の風が吹き、雲が発生すれば雨が降る。

そのような、地球環境を疑似的にシュミレーションした部屋、名付けて「ヘヤリウム」を実現させることができるよう努めてまいりたいと思います、仕事の合間に。。。


長生きしないといけませんね。。。


2020年3月1日日曜日

”屋号名「塵米」とは”




些かわずらわしいお話になってしまいますが、植物に携わる仕事の屋号につけた「塵米」という名の由来についてお話させていただきたいと思います。



毎度お客様や業者さんに、「これ、なんて読むんだい」とか「塵という漢字が書けませんよ」などといったちょっとしたクレームをいただくのですが、その度に長々とした説明が必要なこの名前の因縁を鬱陶しく感じつつ、その反面では決定的にこの名を使う流れにあった当時を今さら否定するわけにもいかないので、兎にも角にも、まず初めましての段階で先に手を打っておきたい。
ということで、お時間がございましたらご清読お付き合い願います。

まず、、、
塵米(じんべい)の「塵」とは少数を表す9番目の漢数字で、英語のbillionth、SI接頭辞のナノ(n)と等しい。
そして「米」はメートル(m)、国際単位系(SI)およびMKS単位系における長さの物理単位であり、これをかけあわせると「塵米」となります。
もう少し噛み砕くと、立米(りゅうべい)はリッポウメートル、平米(へいべい)はヘイホウメートル、そして塵米(じんべい)はナノメートルということになります。

さて、それでは、なぜナノメートルだったのか。
それは植物が成長する要素の一つ「光(電磁波)」の単位がnm(ナノメートル)で表現されるからです。

地球上には太陽から電磁波が降り注いでいるのですが、それを可能なかぎり分解すると、波長の短い宇宙線やガンマ線から波長の長い電磁界で構成されており、私たち人間には、下界おおよそ360-400nmから上界760-830nmまでの、いわゆる光とその色を目で感知できるとされています(可視光線)。
かたや植物は、葉緑体で選択的に周波数をうけとって生命構造を維持しており、光合成成長にはおもに660nm(赤色近辺)、形態形成にはおもに450nm(青色近辺)の電磁波が再生産に必要とされているそうです。
これは私が植物の事をよりよく知るための基礎知識で、エネルギー効率の優れたLEDの人工照明を制作する際に必要な情報でした。
そういうことで、私が植物と共に仕事をするにあたり、生命活動においてポジティブな「光合成成長」という運動の源である「660塵米」という屋号で植木屋を発起しようと考えたのですが、それは周囲にとってものすごく不親切な呼び名になってしまうようでした。
「すみません、ロッピャクロクジュウジンベイさ~ん」
「どうも~、私がロッピャクロクジュウジンベイです~」
これでは呼ぶ方も呼ばれる方も疲れてしまう。
そんな長ったらしい名前は喧嘩の種になるに違いない、、、
しかしこの名も捨てがたい、、、
考えた挙句、「660部分は胸の中にそっとしまっておこう」ということにして、「塵米」がこの世に生を受けることになりました、とさ。

以後、御見知りおきのほど、宜しくお願い申し上げます。



ps
「ジンベイ」、そのいもくさい響きが気にいっております